ホーム / 「シン冬虫夏草」の生みの親 辛先生について

辛勇(シン・ヨウ) 中医 1953年 中国北京生まれ。

宮廷医の伯父・劉國斌※1(リュウコクヒン)は、愛新覚羅溥儀(アイシンカクラフギ)の日常的な養生の担当医だった。辛勇はその伯父に才能を認められ、歴代の朝廷に伝わる中医薬(漢方薬)の秘伝、奥義を授けられ、中医の道に進む。

第四軍医大学に推薦入学し西洋医学を修学。卒業後、北京部隊総医院や中医医院に勤務。その傍ら、伯父の下で東洋医学を学ぶ。

1987年に日中の医学交流のため来日。長寿国である日本の長寿と養生について研究。東洋医学と西洋医学の双方の長所と短所を活かし、現代人の体質に合わせた新たな漢方を独自で開発。その数は50種以上に及ぶ。

1998年、台湾の台北市に「長寿堂」を創業。

 

※ 1 叔母の配偶者の兄。清末期の太医院(タイイイン)の有名な侍医である尤德眾*1(ユウトクシュウ)の一番弟子であり、愛新覚羅溥儀の専属医であった。1979年に91歳で亡くなる。

*1  清代御医 尤德眾(清王朝)咸丰5年生まれ(1855年-1953年)。17歳の時に名師に弟子入りし医療を学ぶ。中医薬の知識が豊富で鍼灸にも精通する。各地から来る患者、治療費が払えない人も分け隔てなく診察し,貧しい人には無料で薬を与えた。若い頃から名声を博し、清光绪十八年(1892年)得知府から抜擢され太医院(宮内庁専属医院の事)に入る。尤德眾は太医院の藏書を読み漁り、 医療の道を極めた。彼は人のために人生を捧げ、皇后の寵愛を受ける。